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『勧進帳』には、どうしても解けない謎が二つあります。ひとつは富樫はどの時点で、山伏たちを義経主従と見破り、頼朝を裏切って義経を助けようと決心したのか、ということです。もうひとつは弁慶はそうした富樫の心情を理解していたのか、もし知っていたとしたら、どの時点でわかったのか、ということです。いろいろな資料を読んだり、多くの舞台を見てもこの二点が明確になることはありませんでした。もちろん、前者の疑問はさほど問題ではありません。少なくとも「義経ではない」、と発言した時点では、決めていたということがわかるからです。 はなしはさかのぼりますが、11月の演舞場で行われた『勧進帳』で富樫を演じた菊之助さんは、「こは先達の荒けなし」〜「士卒のものが我への訴え」〜「番卒どものよしなきひが目より、判官どのにもなき人を、疑えばこそ・・・」という一連のせりふの間に、次第にその気持ちが義経を助ける決心をしていく課程を、ことばの調子だけでわからせてくれました。ここまで明確に心の動きがそのせりふだけで明らかになった富樫はみたことがありません。それはもう見事なものでした。 あの弁慶捨て身の怒り(強力を打ち殺すという)が、ぎゃくに富樫に義経と確信させ、それゆえにその忠心に感動し、関を通ることを許した、ということがはっきり理解できたのです。 さてでは弁慶はどうなのか?この1月の幸四郎さんの弁慶は、わたしの二番目の疑問に明確にこたえてくれたものでした。富樫が関を通れといい、臆病口へ引っ込むとき、弁慶が富樫に深々と頭を下げたのです。軽い会釈ならみたことがありますが、今回のようにまさに助けてくれたお礼として頭を下げるのははじめてみました。幸四郎さんの新解釈でしょう。その結果、大半の弁慶がやるように幕がしまってから富樫がいた方向に向かって頭を下げる、ということは抜きにしていました。前で頭を下げているのですからこれは当然ですね。 解釈の是非はともかく、二つの疑問に違った舞台から答えがあったことは喜ばしいことです。弁慶を演じる役者は、後者の疑問をどのように解決して演じているのか、常々不思議に思っていたからです。花道で頭を下げるのは富樫への感謝の気持ちでしょう。弁慶は富樫が見逃してくれたことをわかって感謝するわけです。ではいつそのことを知ったのですか、というのが長年の疑問だったのです。もし幸四郎さんの新解釈のように、あれほど早く理解していたのなら、何故富樫が再び登場したとき、義経を隠そうとするのか、何故舞の途中で義経らを逃がすのか、弁慶の心理がよく理解できません。さらに主従との会話で、富樫の高恩についてひと言も触れられないのはどういう理由からなのか?さらに、最後の「虎の尾を踏み、毒蛇の口を逃れたる心地」は、富樫の心情を理解して、それでもおきる気持ちなのでしょうか? まだまだ疑問は残ります。 舞台全体の感想としては、ニンは素晴らしいのですが、「勧進帳聴聞の上は、疑いはあるべからず」のせりふでスタスタ下手に歩き始めたり、つめより( 『俊寛』・・・きわめて良くできたお話ですし、登場する役者たちも素晴らしいのですが、さすがに飽き飽きしました。吉右衛門さんの俊寛、ラストの岩に上って船を見送るシーン、これまで多くの役者がその「孤独感」をリアルな心理描写で見せてくれていましたが(それゆえ新劇風と悪口いわれるのですが)、吉右衛門さんは今回初めて「無」になった俊寛をみせてくれました。 これはまたすごかったです。 『松竹梅』はパス。『喜撰』は残念ながら良さがまだよくわかりません。もう少し勉強して、感想が述べられるようになりたいです。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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幸四郎弁慶を何度も拝見していますが |
もしほ 2007/02/19 13:30 |
もしほさん、コメントありがとうございます。 |
江戸ぐるめ 2007/02/20 00:01 |
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